
矢次 国博さん
経営戦略専攻(ビジネススクール)
プロフィール
サンテクノロジー創業者兼CEO。大阪出身。米国の大学を卒業後、大阪の液晶メーカー入社半年で米国法人社長(シリコンバレー)就任。サンディエゴで起業し、3Dメガネ10億個出荷やディスプレイ製造など複数事業を世界で多角展開。2022年に関学IBAでMBA取得。電子ペーパー「EZ Sign」を日米で月1万台販売へ成長させる。
MBAで学ぶことを意識し始めたきっかけは?
アジア・欧州・北米の計11社18拠点まで事業が急拡大した反動で、世界中の内部トラブル解決が主務となっていました。事業の取捨選択を進め、再成長の計画を立てた矢先にコロナ禍が発生。平均して月1回の太平洋往復や年3、4回の欧州訪問という20年続いた出張生活に急ブレーキがかかりました。これを機に自身と事業をリセットして根本から見つめ直そうと、拠点の米国ではなくあえて日本のMBAで学ぶことを決意しました
多くのMBAスクールの中から本学を選んだ理由は?
子供たちの米国大学受験と時期が重なり、父親として失敗する姿は見せられないと一念発起しました。東京の有名私立大や国立大のMBAも受験し複数合格をいただきましたが、最終的に関西学院大学への進学を決意しました。その最大の理由は、ビジネスの現場を熟知した「実務家教員」が多数在籍している点と、私の日本拠点である神戸市に近いという実践的な環境が最も魅力的に映ったからです。
入学後、働き方や業務内容など仕事に関して変化したことは?
通学のため梅田のホテルを月契約したものの、コロナ禍で事態は一変。中国工場へは行けず、欧米の顧客からは「来ないでくれ」と言われる状況下で、会社業務も授業も全面オンラインになりました。 場所の制約がなくなり、石垣島に計3ヶ月滞在した際は、早朝に離島を自転車で一周後、日中は貸し切り状態のホテルラウンジで仕事、夜はIBAの授業という健康的な生活を送りました(当時はホテルも離島フェリーも客よりスタッフが多い状況でした)。一方、「完全オンラインなら」とサンディエゴの自宅に戻って受講した際は、時差で深夜2時開始・朝5時終了という過酷なスケジュールになり、身をもって「二度としたくない」経験となりました。
在学中の過ごし方は?
「課題が多い時に限って仕事も忙しくなる」という状況を幾度も経験しました。複数の重い課題を抱えている大変な時期に、複数のカスタムディスプレイ案件や欧米の顧客とのオンライン会議が重なることが何度もありました。そうした時期は、大学院の課題作成、顧客案件のフォローアップ、そしてIBAの授業に追われ、文字通り「ご飯を食べる以外は何もできない」という過酷な日々が何度もありました。当時は無我夢中で全く余裕がありませんでしたが、限界までやり切ったあの時の苦労は、今となってはとても良い思い出です。
修了後、仕事やキャリアに関して変化したことは?
経済的には十分な財を築いたため、50代半ばでの早期リタイアも考えました。しかし、IBA在学中に受けた刺激やコロナ禍の落ち着きもあり、再び経営の最前線に立つ決意をしました。現在は中国やメキシコの自社工場、欧米の顧客への訪問を再開し、展示会にも積極的に出展しています。また、これまでの映画館やテーマパーク用3Dメガネ、B to B向けディスプレイの製造販売に加え、新たに自社製品の開発にもチャレンジし、会社を再度成長軌道に乗せるべく奮闘するようになりました。
関西学院大学 経営戦略研究科で得たものは?
事業の取捨選択において小売業は「捨」となりましたが、コロナ前までカリフォルニアで最大7店舗を運営していた頃から基本的なフレームワークは使っていました。IBAで実践的な引き出しが広がり活用頻度は大幅に増え、スタッフにも共有した結果、各施策の成功確率が大きく向上したと実感しています。 また、年齢や経歴の異なる方々との交流は一生の財産です。修了後は同期2名が駐在と留学でサンディエゴにて生活することになり米国でも交流が続くほか、先生や同級生が遊びに来た際は一緒にボートで海釣りをし、隣接するメキシコのシーザーサラダ発祥の店でサラダやタコスを楽しむなど、素晴らしい繋がりを得ました。
印象に残っている科目は?
一つ目は、元キヤノンでインクジェット技術の第一人者である中島先生の「製品開発事例研究」。発明のプロセスや熾烈な開発競争のリアルに強く刺激を受けました。それまで当社の売上はセットメーカーの動向やEOLに左右される部品製造が主軸でしたが、講義を機に「自社での完成品の製造販売」への挑戦を決意しました。 二つ目が玉田先生の「イノベーション経営」です。完成品開発にあたり、授業で得た「破壊的イノベーション」や「ジョブ理論」を土台としました。既存技術である電子ペーパー等を顧客の課題(ジョブ)を解決する低コストなデジタルラベルへと進化させ、結果として「EZ Sign」の月1万台の大ヒットに繋げることができました。

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